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ブルース・ウィルスらしい映画★「REDリターンズ」 [映画の効用]

映画「REDリターンズ」鑑賞@板橋・イオンシネマ。

2010年の「RED」の次作です。

諜報活動の一線から退き、恋人サラと共に、
穏やかな生活を送っている元CIAエージェント・フランク。

そんな平穏な生活を崩すかのように、元相棒のマーヴィンが現れ、
騒動に巻き込まれていく。

その原因は、CIAに在籍中の32年前、冷戦下のモスクワで手がけた極秘プロジェクト。
小型核爆弾製造に関わる計画だった。

その小型核爆弾は行方不明となっており、フランクとマーヴィンは、
それを奪ったテロリストとして国際指名手配を受け、
列強の諜報機関から次々と刺客が放たれたのだった。

行方不明の核爆弾の隠し場所を突き止めるため、
サラを連れて二人はヨーロッパに向かうが、、

とにかくまあ、アクション満載の、ブルース・ウィルスらしい映画でありました。

けっこうないい年になっていると思われますが、
やっぱり彼と言えば、いまだに「ダイ・ハード」とかのイメージが強いですもん。

それにしても、世界の各地であんなにドタバタと大騒ぎして人殺しとかやってちゃ、
どんだけの国際問題に発展してしまうか・・・と言うのは、アクション映画では愚問なのでしょうが(笑)

こういう映画を観ることで、エネルギー余っている人たちにある程度のカタルシスをもたらすのであれば、
それはそれで存在意義があるのでしょうね。

しかし、この映画の見どころは主役演じるブルースよりも、
脇を固める人たちの方にあるでしょうか。

ゼタ姉さん(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)、年増のビッチをやらせたら、
右に出る者はありません。

イ・ビョンホン、あまりに肉体作りすぎて人間離れした感じになってますが・・・
やっぱり爺さんだけじゃ画面が締らないので、華を添えています。

韓国人らしい、オウトツの少ない造作は、
何を考えているのか分かりにくい怖さを表現できるのがいいですね。

「大量殺人界のロックスター」の異名を持つ、行方不明の物理学者、
ベイリー演じるアンソニー・ホプキンスは、「羊たちの沈黙」のレクター博士を髣髴とさせて、
いきなり顔にでも噛みつくんじゃないか、と言う恐怖を感じます(笑)

そして、この作品でイチオシなのは、ヴィクトリア役のヘレン・ミレン。

この人もかなりのいい年だと思いますが・・・
お顔の皺くちゃがまたいい味出して、とっても素敵です。

欧米人女性には、年齢と共に現れる容貌の衰えを逆に活かして、
スパイシーな魅力にあふれる方が多いですよね。

日本では、最近じゃあ「半沢直樹」の羽根専務くらいだな。

映画のCMで観た方も多いかと思われますが、
今回の作品で一番の見せ場は、ヴィクトリアが車から銃をぶっ放すシーンです。

ちゃんと、「見せ場よ」と宣言してくれるので(笑)
しっかと味わってください。

フランクの恋人サラ役のメアリー=ルイーズ・パーカーもいいですね。

ある意味、一番おいしい役とってます。

映画のクライマックスである、今回の事件解決の最終場面だけ、
どうも、???なんですがね~、、

だって、あれって核爆弾なんだよね?
あの程度じゃ終わらないでしょーーーと言う不可解さは・・・

まあ、とりあえず実際の映画を観て下さいませ。

「REDリターンズ」公式ウェブサイトはこちらから
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言葉の海を渡る★映画「舟を編む」 [映画の効用]


舟を編む 通常版 [DVD]

映画「舟を編む」DVDにて鑑賞。
2013年、日本映画。


舟を編む

原作はこちら。
2011年に発売された、三浦しをんさんの作品です。



1995年、玄武書房・辞書編集部。

ベテラン編集者・荒木は定年を間近に迎え、
辞書編集と言う独特の世界で後継を担える人材の獲得に頭を悩ませていた。

同じく辞書編集部に勤める、お調子者の編集者・西岡は、
大学院で言語学を専攻していたと言う、変わり者で営業部で持て余されていた、
馬締(まじめ)のことを恋人の麗美から耳にする。

荒木と西岡が馬締に会いに行き、荒木は馬締にこう尋ねた。

「“右”と言う言葉を説明できるかい?」

・・・荒木は自らの後継として馬締を迎え入れる。

辞書編集部では、「大渡海」(だいとかい)と言う新しい辞書を産み出す計画を温めていた。

見出し語24万語。新しい概念や言葉も積極的に掲載し、
今までにない「今を生きている人たちに向けた辞書」を目指す。

その監修を担う松本は編集部の人間に向けてこう語った。

「言葉の海。他人は辞書と言う船でその海を渡り、自分の気持ちを的確に表す言葉を探します。

誰かとつながりたくて広大な海を渡ろうとする人たち捧げる辞書。それが大渡海。」

この松本の言葉に奮起して、馬締は「大渡海」編集に身を投じていくが、、

辞書編集が題材の物語って・・・この上なく地味でありながら(笑)
でも、すごく斬新ですよね。

そして、この映画ののっけから、私、とてつもなくゾクゾク~っと来ちゃいました。

なんでしょうねえ・・・「言葉」ってエンターテイメントであり、
人の快感を刺激するんだと思います。

音楽や絵などと同じように。

それと同時に、人と人の繋ぐきわめて有効なツールでもある。

言葉を通して誰かと繋がれた、と実感できた時ほど、
幸福な瞬間ってなかなかありません。

言葉を意思伝達の手段にしている生き物って、たぶん人間だけですよね。

だから、言葉は人間のオリジナリティを最も表すものでもあります。

この物語でみんなの共通目的となる「大渡海」の、
「今を生きている人たちに向けた辞書」と言うコンセプトや松本の言葉には、
馬締くんじゃなくても、私だってぐぐっと来ちゃいましたもん。

(松本演じる)加藤剛さん、やっぱりいいですよね~
この方に言葉を語らせると、妙に胸に迫るものを感じます。

言葉と言うのはあくまでも人間のためのツールなので、
それを使う人間が変われば、言葉も当然変わる。

その変化は必ずしも望ましいものとは限らないかもしれない。

よく「この言葉は間違っている」と言う指摘がなされますが、
この映画の中にも出てくる、「れる」「られる」の用例などですよね。

確かに最初は間違いだったものでも、その間違いの方が人に受け入れられ、
いつの間にか定着してしまうことだってある。

言葉に敏感な人であれば、それは非常に「気持ちの悪い」ことだったりもしますけれど、
「今生きている人間のための言葉」であるとするならば、
否定ばかりもしていられないわけで。

「大渡海」では、「間違った使い方」と明示してでも、
そういった言葉も受け入れ紹介していく、そういう指針を通します。

この映画を観ていたら、改めて言葉の面白さや素敵さに突き動かされ、
何かふつふつと自分の中の欲求の泉から湧き出てくる存在を感じています。

ひゃあ~~~、どうしよう・・・ドキドキ。。

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再生の物語★「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」 [映画の効用]


ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない [DVD]

「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」
DVDにて鑑賞。2009年日本映画。


ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない (新潮文庫)

原作はこちら。2ちゃんねるの書き込みから産まれた作品だとか。

主人公・マ男はイジメが原因で高校を中退し、8年間のひきこもり生活をしていた。

ひきこもりを脱却するきっかけになったのは、母親の事故死。

一念発起して、プログラマの資格を取得し、就職活動は不採用続きで厳しいものではあったが、
なんとかとあるIT企業に就職が決まった。

ところが、蓋を開けてみれば、地獄とも言える日々が彼を待ち受けているのだが、、

これを観て、他人事じゃない・・・と感じる方もいらっしゃるのかもしれません。

ただ、「ブラック会社」と言うよりは、「ブラック社員の吹き溜まり」??

所詮、会社を動かしているのは「人」なのですから、
ブラック会社よりなにより、まずはブラックな人がいる、と言う次第です。

ところで、ブラック会社と言う存在をざっくり説明すれば、
労働法に抵触するような過酷な労働環境を社員に強いる会社、
と言うことですよね。

ちょうどこの原作や映画が作られた時は「ブラック会社」と言う概念・言葉が、
流行語のような形にもなっていた時期かと思われます。

原作の方は読んだことがないので何とも言えませんが、
この映画を観る限り、「ブラック会社」と言う言葉に興味をそそられて観た人は、
鑑賞前に予測あるいは期待していた内容とはひょっとしたら異なるものであったかもしれません。

と言うのは、この映画で語られているのは、
ブラック会社うんぬんの問題がテーマになっている訳ではなくて、
ブラック会社が舞台になった、「一人の男の再生の物語」だと私は感じたからです。

amazonさんのレヴューを読んでいたら、かなり批判的な感想もあって、
ブラック会社を宣揚しているようなものだ、的な内容もあったのですね。

でも、私が感じたところによれば、
別にこの映画はブラック会社を宣揚してはいない。

ただ、断罪しているわけでもないですけどね。

何故なら、テーマは先にも述べたように、ブラック会社云々ではないからです。

当時「ブラック会社」と言う言葉が注目されていただけに、
制作者側もその波に乗じているところがあったのでしょうが、
実際の物語の核心は異なるところにあるようです。

これ、全く同じ内容だったとしても、題名が違ったら、
反応は全く違ったんじゃないかなあ。

その代わりに、注目は浴びづらかったでしょうけどねえ。。

高校中退=中卒、と言うコンプレックスに加えて、
多感な時期に8年間も社会と断絶した生活を送っていた主人公。

就職と言う、誰もが行うはずの社会人としての初めの一歩でさえ、
彼にとっては、断崖絶壁を飛び越えるような勇気が必要だったはず。

母親の事故死と言う背中を押す出来事があったとは言え、
その一歩が人生を大きく変える一大事でした。

そして、就職後はそれ以上の艱難辛苦にさらされる訳ですが、
身も心もボロボロになって、「もう俺は限界かもしれない」と地に倒れた後、
マ男は最終的にどうなるのか、、

彼が闘っている相手は、ブラック会社でもそこにいるブラック社員でもなく、
彼自身なのですよね。

マ男の勝敗はいかに。

「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」公式ウェブサイトはこちらから











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