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再生の物語★「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」 [映画の効用]


ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない [DVD]

「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」
DVDにて鑑賞。2009年日本映画。


ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない (新潮文庫)

原作はこちら。2ちゃんねるの書き込みから産まれた作品だとか。

主人公・マ男はイジメが原因で高校を中退し、8年間のひきこもり生活をしていた。

ひきこもりを脱却するきっかけになったのは、母親の事故死。

一念発起して、プログラマの資格を取得し、就職活動は不採用続きで厳しいものではあったが、
なんとかとあるIT企業に就職が決まった。

ところが、蓋を開けてみれば、地獄とも言える日々が彼を待ち受けているのだが、、

これを観て、他人事じゃない・・・と感じる方もいらっしゃるのかもしれません。

ただ、「ブラック会社」と言うよりは、「ブラック社員の吹き溜まり」??

所詮、会社を動かしているのは「人」なのですから、
ブラック会社よりなにより、まずはブラックな人がいる、と言う次第です。

ところで、ブラック会社と言う存在をざっくり説明すれば、
労働法に抵触するような過酷な労働環境を社員に強いる会社、
と言うことですよね。

ちょうどこの原作や映画が作られた時は「ブラック会社」と言う概念・言葉が、
流行語のような形にもなっていた時期かと思われます。

原作の方は読んだことがないので何とも言えませんが、
この映画を観る限り、「ブラック会社」と言う言葉に興味をそそられて観た人は、
鑑賞前に予測あるいは期待していた内容とはひょっとしたら異なるものであったかもしれません。

と言うのは、この映画で語られているのは、
ブラック会社うんぬんの問題がテーマになっている訳ではなくて、
ブラック会社が舞台になった、「一人の男の再生の物語」だと私は感じたからです。

amazonさんのレヴューを読んでいたら、かなり批判的な感想もあって、
ブラック会社を宣揚しているようなものだ、的な内容もあったのですね。

でも、私が感じたところによれば、
別にこの映画はブラック会社を宣揚してはいない。

ただ、断罪しているわけでもないですけどね。

何故なら、テーマは先にも述べたように、ブラック会社云々ではないからです。

当時「ブラック会社」と言う言葉が注目されていただけに、
制作者側もその波に乗じているところがあったのでしょうが、
実際の物語の核心は異なるところにあるようです。

これ、全く同じ内容だったとしても、題名が違ったら、
反応は全く違ったんじゃないかなあ。

その代わりに、注目は浴びづらかったでしょうけどねえ。。

高校中退=中卒、と言うコンプレックスに加えて、
多感な時期に8年間も社会と断絶した生活を送っていた主人公。

就職と言う、誰もが行うはずの社会人としての初めの一歩でさえ、
彼にとっては、断崖絶壁を飛び越えるような勇気が必要だったはず。

母親の事故死と言う背中を押す出来事があったとは言え、
その一歩が人生を大きく変える一大事でした。

そして、就職後はそれ以上の艱難辛苦にさらされる訳ですが、
身も心もボロボロになって、「もう俺は限界かもしれない」と地に倒れた後、
マ男は最終的にどうなるのか、、

彼が闘っている相手は、ブラック会社でもそこにいるブラック社員でもなく、
彼自身なのですよね。

マ男の勝敗はいかに。

「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」公式ウェブサイトはこちらから











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