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思い出箱処分 [雑感]
普段の生活の中で使うことはないし、見返すこともない。
ただ、「思い出」としてだけで残してあるもの、
と言うのが、多少なりとも誰にもあるかと思います。
手紙、写真、日記、子供の頃学校で作ったもの、誰かからの贈り物・・・等々。
「過去を懐かしむ」と言う人間の特性がある限り、
なかなかこういうものって捨てられないですよね。
実際、日常生活でこれらの存在を意識することってほとんどないと思うのですが、
例えば、お引っ越しなどで「捨てる」「捨てない」の決断を迫られる局面で、
簡単に「捨てる」の決断をできる人ってそうそういないのではないかと。
あるいは、意識的に決断をせずに、自動的に「捨てない」を選んでいる人も多いでしょうね。
ただ、人間生きる年月が長くなっていくと、
「過去」の方がどんどん長くなっていくわけですから、
思い出系の品物も自動的に増えていくばかり。
ある意味、それは自然なことなのかもしれないけれど、
「過去」が「現在」や「未来」を押しのけて幅を利かせている状態とも言えるかも。
「片づけ好き」なイメージの強い私なので、
モノに執着しないさっぱりした性格だと思っている人も多いんですが、
実は根底的にはきわめて執着心の強い人間だと自己分析しています。
強すぎるがゆえに、逆にそれが180度裏返って、
意識的にさっぱりするようにしているのだと。
だから、元々はモノを溜め込む素養があり、
かつては特に思い出系のモノはしっかり取っておく性質でした。
年賀状なんかも幼稚園時代のものからきれいにファイリングして、
20代前半くらいまでは全て取ってありましたからねえ。
でも、いつまでもこんなことを続けていたら、
自分の人生思い出で埋め尽くされてしまう!!
と考え直して、思い切って処分に着手したのです。
やるとなったら、また徹底的にやる性格ですから、
ほとんどのものは処分して、アルバムは別にすると、
ノートパソコンを梱包している箱程度一つに納めた状態にまで縮小いたしました。
その中に納めたものは、手紙、日記、学生時代のレポート、
友だちが書いた小説、卒業証書・・・等々。
それらを詰めた箱を「思い出箱」と称して、
チェストと床の間にある空間に納めて、普段は触れることもないままに仕舞ってありました。
が、ある時、本籍地を調べたくて、
「たしかあの箱に昔の免許証が取ってあったはず・・・」
とひらめいて取り出してみると・・・
箱を開けた途端、にょろにょろした虫が何匹もわさわさ~っと蠢いている・・・!!!
その後、自分でその箱を開けることは意識的に避けて、
しかし、いつまでも放置しておくわけにもいかないか・・・
と、気にしつつ、でも、「臭いものに蓋」状態が続いておりました。
先日の記事の通り、現在写真のデータ化に着手しているのですが、
それに伴い、その箱も開けねばならぬ、という事態に至り。
一冊の小さなアルバムだけ、その箱の中に取っておいてあるものがあったはずだと。
そして、まあいい機会だからと、自分で開けるのは嫌なので、
こういう時ばかりで父親を呼び出し(笑)
久しぶりに開けてみれば、やはり相変わらずの虫の棲家状態(汗)
私や弟のへその緒が入っている小箱なんかも入っていたのですが、
その小さな箱も虫の寝床になっていました・・・きゃあ~~~(泣)
紙ものは虫食い状態になっているものが多かったので、
その系統の虫さんたちなのでしょうね。。
虫の食べかすと思われる(糞??)、
砂のようなものにもまみれていました。。
虫苦手な私としては対処しきれずに、途中で断念してしまったのですが・・・
これはもう、いっそ更なる処分を迫られている、と言うことで、
全てではないにしても、縮小化を試みてみるつもりです。
思い出系の処分のコツは一つ。
「思い出は胸の中に」
と割り切ることです。
全ては自分の血肉になって、ちゃんと在り続けるのだから・・・
と、実感することができれば、形としての思い出は手放すことができます。
自分の棺桶に入れて、燃やしてしまえるくらいの量。
せいぜいその程度を残しておくくらいでいいんじゃないかな・・・と。
まあ、どこまで割り切るかは人それぞれだと思うので、
とりあえず今の私としては、贈答用の箱一つ分くらいにまとめてみたいと思います。
どうせ大事に取ってあるつもりでも、虫に寝取られてしまっているんですもん(苦笑)
たまには虫干しもしなきゃいけないと言うことでもありますねー
ただ、「思い出」としてだけで残してあるもの、
と言うのが、多少なりとも誰にもあるかと思います。
手紙、写真、日記、子供の頃学校で作ったもの、誰かからの贈り物・・・等々。
「過去を懐かしむ」と言う人間の特性がある限り、
なかなかこういうものって捨てられないですよね。
実際、日常生活でこれらの存在を意識することってほとんどないと思うのですが、
例えば、お引っ越しなどで「捨てる」「捨てない」の決断を迫られる局面で、
簡単に「捨てる」の決断をできる人ってそうそういないのではないかと。
あるいは、意識的に決断をせずに、自動的に「捨てない」を選んでいる人も多いでしょうね。
ただ、人間生きる年月が長くなっていくと、
「過去」の方がどんどん長くなっていくわけですから、
思い出系の品物も自動的に増えていくばかり。
ある意味、それは自然なことなのかもしれないけれど、
「過去」が「現在」や「未来」を押しのけて幅を利かせている状態とも言えるかも。
「片づけ好き」なイメージの強い私なので、
モノに執着しないさっぱりした性格だと思っている人も多いんですが、
実は根底的にはきわめて執着心の強い人間だと自己分析しています。
強すぎるがゆえに、逆にそれが180度裏返って、
意識的にさっぱりするようにしているのだと。
だから、元々はモノを溜め込む素養があり、
かつては特に思い出系のモノはしっかり取っておく性質でした。
年賀状なんかも幼稚園時代のものからきれいにファイリングして、
20代前半くらいまでは全て取ってありましたからねえ。
でも、いつまでもこんなことを続けていたら、
自分の人生思い出で埋め尽くされてしまう!!
と考え直して、思い切って処分に着手したのです。
やるとなったら、また徹底的にやる性格ですから、
ほとんどのものは処分して、アルバムは別にすると、
ノートパソコンを梱包している箱程度一つに納めた状態にまで縮小いたしました。
その中に納めたものは、手紙、日記、学生時代のレポート、
友だちが書いた小説、卒業証書・・・等々。
それらを詰めた箱を「思い出箱」と称して、
チェストと床の間にある空間に納めて、普段は触れることもないままに仕舞ってありました。
が、ある時、本籍地を調べたくて、
「たしかあの箱に昔の免許証が取ってあったはず・・・」
とひらめいて取り出してみると・・・
箱を開けた途端、にょろにょろした虫が何匹もわさわさ~っと蠢いている・・・!!!
その後、自分でその箱を開けることは意識的に避けて、
しかし、いつまでも放置しておくわけにもいかないか・・・
と、気にしつつ、でも、「臭いものに蓋」状態が続いておりました。
先日の記事の通り、現在写真のデータ化に着手しているのですが、
それに伴い、その箱も開けねばならぬ、という事態に至り。
一冊の小さなアルバムだけ、その箱の中に取っておいてあるものがあったはずだと。
そして、まあいい機会だからと、自分で開けるのは嫌なので、
こういう時ばかりで父親を呼び出し(笑)
久しぶりに開けてみれば、やはり相変わらずの虫の棲家状態(汗)
私や弟のへその緒が入っている小箱なんかも入っていたのですが、
その小さな箱も虫の寝床になっていました・・・きゃあ~~~(泣)
紙ものは虫食い状態になっているものが多かったので、
その系統の虫さんたちなのでしょうね。。
虫の食べかすと思われる(糞??)、
砂のようなものにもまみれていました。。
虫苦手な私としては対処しきれずに、途中で断念してしまったのですが・・・
これはもう、いっそ更なる処分を迫られている、と言うことで、
全てではないにしても、縮小化を試みてみるつもりです。
思い出系の処分のコツは一つ。
「思い出は胸の中に」
と割り切ることです。
全ては自分の血肉になって、ちゃんと在り続けるのだから・・・
と、実感することができれば、形としての思い出は手放すことができます。
自分の棺桶に入れて、燃やしてしまえるくらいの量。
せいぜいその程度を残しておくくらいでいいんじゃないかな・・・と。
まあ、どこまで割り切るかは人それぞれだと思うので、
とりあえず今の私としては、贈答用の箱一つ分くらいにまとめてみたいと思います。
どうせ大事に取ってあるつもりでも、虫に寝取られてしまっているんですもん(苦笑)
たまには虫干しもしなきゃいけないと言うことでもありますねー
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